死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

よしお

 

"いいものは、うるさくない。

うぬぼれない。かっこつけない。

色っぽい。悲しくなってくる。"

たましいの場所/早川義夫

 

早川義夫のアルバム「 かっこいいことはなんてかっこ悪いことなんだろう」 というタイトルを見たとき、何かがスイっと胸に刺さった。ナイフのように抵抗なく肉を割って心を突いて、液体がつつーっと流れ出た。それはどこかでぼくが探していた言葉だったので、一目みただけでわかったのだ。

 

自分の中にある、未だ言語化できずに霧散している想いが適切な鋳型でもってパチンと鋳造された気持ちよさがあった。 人生に馴染むカタルシスがあった。ぼくの中にあったのに、それが何なのか、ぼくにはわからなかったなんて、悔しかった。

 

 しかし、かっこいいことがかっこ悪いとは、いったいどういうことなのか。字面だけ見るとなかなかトンチンカンな言葉だ。矛盾しているじゃないか。

 しかし本当のことは大概が矛盾しているような気がする。全てを内包するために、 その膨大な情報量ゆえに、その中にイデアを宿すために矛盾している。 宇宙の真理を解く数式のように破綻している。 なにを言っているのか自分でもサッパリわからないが、きっとそうなのだ。光がある為に影ができるように、本物は相反するもので構成されている。白と黒じゃなくて、しかし灰色でもなくて、不溶性で粘稠質で総天然色の色々が、溶けず混ざらずウルトラマンのオープニングのように渦を巻いている。

 

 そういえば、甲本ヒロトだってドブネズミのように美しくなりたいと歌った。この曲をカラオケで何気なく歌っている人たちの何人が、何故ドブネズミが美しいのか考えただろうか。ぼくが聴いたブルーハーツと、ぼくを馬鹿にしたあいつの聴くブルーハーツは同じなんだろうか。ぼくには分からない。

 

 かっこいいだとか素敵だとか、一つの軸の話に過ぎない。本当の美しさはまったく別の場所にある気がする。かっこよかろうと醜かったり、かっこいいが為にかっこ悪いこともある。エロくないのがエロかったりする。

二元論では語ることができない。だいたいのものは様々な要素という軸が無数に集まって形成された立体だ。立体は角度によって見え方が全く違う。真正面から見ると矮小な線が他方から見るととんでもなく尖っていたりする。ぼくはここに思いついた相対性立体視論を提唱する。

 

どうだろう。お分かりいただけただろうか。

ぼくは自分で何を言っているのかわからなくなってきたのでこれで終わろうと思う。

さようなら。