恋はいつも幻のように
いくつになっても金土日が嬉しい。
このまま死ぬまでそうなのだろうか?
しかしそれは平日が億劫であることの証明なのでおれたちの人生はジョン太夫式開運法に支配されている。
幸せとは拾い集め噛み締める、貧乏くさいものだ。
平日の朝、いつものように目覚めた。
ケータイのアラームとして設定したNUKEY PIKESに起こされる。
いつもと少し違ったのは、先ほど見ていた夢を覚えていたことだった。夢を記憶するには、まずいちばんに「ああ、夢だった」と考える時間が必要だ。
それは確か見たこともない女の子の夢だった。
いつものとおり、ぼくはその子に恋をして多分彼女もぼくが好きだった。
布団の上で体だけを起こして考える。
「ああ、夢だった」
いったい、見たこともないあの子はぼくの記憶のどこに居たのだろうか。見たこともないのに、決して初めてではないのだ。もしや毎度ぼくの夢の世界に姿を変えて忍び込んでいて、その度に恋をしているのではないか。こんな文章、親が読んだら泣いてしまうが、なんだか不思議で、心強い仲間ができた気分になる。
あの子が出てくる夢は悪夢にならない。人が死のうが世界が壊れようが、ぼくたちは満足していた。こわいものはなかった。生き生きとして、死ぬなら死ぬで喜ばしかった。
覚醒して、夢だと気づき、切なくなり、忘れないように反復する。それでも記憶は手ですくった水のように指の隙間からこぼれ落ちていって、最後には「水があった」くらいのことしか覚えていない。
現にもう顔も声も思い出せない。覚えているのは、ぼくは東京であの子に会って、あの子は今回人妻だったということだけだ。このシチュエーションは初めてなので、ぼくも歳を取ったということだろうか。
それでも、忘れた頃にまた会えるという変な確信があるので、浅い眠りを今日も待っている。