死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

糞ポエム野郎ですね。

 

 

夏目漱石が学生に「I love you」を日本語に訳しなさいと言ったそうな。「あなたを愛しています」などと回答した学生に対して「日本人はそんなこと言わない。月が青い(綺麗)ですね、と言う」と答えたという有名な話。

ちなみに二葉亭四迷は「死んでもいいわ」と訳したとか(ググったらそれは嘘という記事が最初に出てきたけど)。

 

ぼくがそれを知ったのは高校生の頃だっただろうか。流石文豪……!と痺れたのを覚えている。言葉を自分なりに訳すということにショックを受けた気がする。ハンターハンターの能力名みたいだ。ちがうか。

 

I love you.

愛しています。

それ以上でも以下でもない言葉なのに違和感がある。そもそも愛がよくわからないので、何をしているのかもよく分からない。出来ているのかも判らないので何か大袈裟で厚かましい。

 

漱石に痛く感動した高校生の頃の愚かなぼくは、なんとI love youを自分なりに訳していた。人生の大仕事のような顔をしてやり遂げた訳は「only you」だった。I love youの訳がonly youとは、頭が足りていないとしか言えないが、愛の盲信者だったぼくは愛は崇高で永遠でたったひとつだと考えたのだと思う。もしかするとそうなのかもしれないが、自分がそんな素晴らしいものを抱ける人間でないことを知る。グミチョコレートパインを2度読了した頃、高校生活は幕を閉じた。

 

社会人になってから2度目の訳を試みたことがある。いい歳をこいて愛だなんだとのたまうオッサンになりたくは無かったが気がつくと思考していた。思いのほかすんなりと、それ以上は出てこないと思える訳が出てきた。それは「誰かおれを踏み潰してくれ」という、オッサンが発するには何やら面倒臭そうな言葉だった。

 

最初の訳がonly youだったくせに、今度は「誰か」から始まる。もう誰でもよくなっていた。でも誰かを取ってしまうと何か違うような気がしてくるから仕方がない。踏み潰してくれというのもヤケクソ感が強くてつまりどういう事なのか。自分を変えてくれという意味だろうか、よく判らないが嫌に馴染んだ。

 

よくよく考えてみるとこれはI love youではなくlove me doの訳なのではないかと思い当たる。ぼくにとって愛とは与えられるものという潜在無意識が見事に現れてしまったのではないか?いちばん愛から遠い人間だと自ら証明してしまったのではないか?がっくしきたがそれを含めてぼくなりのI love youは納得の訳だった。

たぶんこれ以上I love youから遠いI love youの訳をしたやつは居ないだろう。

 

みんなも死ぬほど暇で精神が健康的であるなら漱石ごっこをして、こっそり教えてれ。

約束だぜ!