死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

心の地下室で核爆弾を作る作業

 

気持ちいいことが恥ずかしいのが思春期

恥ずかしいことが気持ちいいのが青春

 

クリアフォルダにくしゃっとねじ込まれたルーズリーフの切れ端にそんな言葉が書かれていた。いつ頃の自分のメモだろうか。なにか名言のようでいてでさっぱり意味の分からない言葉に、おれはただただ恥ずかしくなった。しかし退屈な大人になってしまうと感情を動かすことにすらなにか新鮮味のようなものすらあって、昔の自分に感謝の気持ちみたいなものも感じた。

思春期の頃ならば、世界の終りのような顔をしながらこうやって意味のない言葉をこの世の真実のようなつもりで書き連ねていた。または暗い部屋でギターを爪弾いたり、真冬の夜にMDプレイヤーを片手に糞田舎をあてもなく歩き回ったり。それがとても大事なことのような気がしていた。これが世界に大穴をあけると感じていた。いつかの素晴らしい自分を手に入れるための儀式だと思っていた。ぼくはこういったイニシエーションを「心の地下室で核爆弾を作る作業」と呼んでいた。この痛ましい行いが凄まじい何かを生み出すと信じていたんだ。

 

「心の地下室」という薄ら寒い言語感覚を共有できた人を、一人知っている。

知っているといっても面識すらない。彼は別の高校に通う友達のクラスメイトだった。彼のユニークな生態はぼくたちの共通の話題になっていた。

体育の時間に奇怪な行動をしただとか、彼一人がなんとかいう試験に落第したとか、家がとんでもなく貧乏で戸籍を売ってしまっただとか、あまり覚えていないがそんな話だった気がする。とりとめて目立つわけでもないが明らかに浮いていて、実害があるわけではないけれど近くにいると変な臭いがしたりして不快、そういう人ってクラスに一人はいるじゃない。ぼくの中で彼はそんなイメージだった。

ある日友達がガラケーを開いて一つのケータイのサイトを見せてくれた。赤と黒で構成された少し見辛いそのサイトは「ハートのアンダーグラウンド」と題されていた。友達が言うにはこの「ハートのアンダーグラウンド」は例の彼のサイトとのことだった。(当日流行ったよね、魔法のiらんどとか)

プロフィールなどの基本的な項目のほか、目を引くものがあった。どうやら彼の執筆した小説が掲載されているページのようだ。タイトルは「キャラメイカー・シィル」。主人公はキャラメイカーという「キャラクターを作り出してそれに命を吹き込む」という職業を目指して学校に通いながら試験を受けている男の子らしい。彼が練習で作ったキャラクターの女の子に命を吹き込むことに成功し、なぜか相思相愛なふたりはすぐにセックスを始めた。おそらくおよそ100文字程度の出来事だった。

なんの性知識も持たない女の子にAV的な手ほどきをしながら何度もセックスをする。純愛もロマンスもエロスもなく、ただただセックスをする。稚拙な言葉で綴られる都合のいい愛と脳が溶けそうなセックスがバキバキに割れたディスプレイを占領していた。「溶けたホワイトチョコレートを注ぎ込んだ」という彼のお気に入りの官能表現が頻出していてアホっぽい。よく読んでみればこの主人公は完全なる彼自身の自己投影であり、性のはけ口たる少女を創造するためだけにキャラメイカーなる職業を夢想するという創作性皆無の妄想、完全なる彼のオカズ小説だった。

きっと誰に見せるつもりもない、ましてやクラスメイトに読まれるなんて心にも思っていない彼だけの楽園に足を踏み入れたぼくは、おかしいようなゾッとするような悲しいようなうらやましいような不思議な気分になった。多分ぼくはそこに自分を見たような気もしたのだ。ぼくの「心の地下室で核爆弾を作る作業」もこの小説となんら変わらない自己満足のオナニーだったからだ。そして同時に、生み出されるべくして産み落とされたこの小説と酷く滑稽な彼の魂を美しいとも感じていた。

ふと思い出して彼の「ハートのアンダーグラウンド」を探してみたがもちろんサービスは終了してしまっていた。もうあの頭の悪いポルノ小説を読むことはできない。でもぼくはずっと覚えている。昔背伸びして見た名作映画の内容なんて全て忘れてしまっているのに、彼のオカズ小説をいつまでも鮮明に覚えてしまっている。

この世に残るのは残る価値のあるものばかりだ。語り継がれ、保存され、時にはアップデートされる。なのにぼくはあの無価値な自家発電小説をもういちど読んでみたい。そうしたらまた、会ったこともない同志の魂に会える気がする。

 

「恥部」とかいう誰かの恥ずかしいものを掲載するZINでも作ろうかな。あなたの恥ずかしい作品、渡せなかった手紙、そんな何よりも尊い一品を求む!真面目なものほど恥ずかしいはずなんだ。

 

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