死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

いぬ

 

仕事中、ポケットの中でスマホが短くバイブレーションした。

 

父親から、これまた短く犬が死んだ旨が記されていた。

 

実家の犬はぼくが高校生の時に家にやってきたのでもう16歳を超える老犬だった。数年前からは目や足腰が悪くなり、走り回るよりもベッドで布団をかけられて眠っている姿が定着していたように思う。

 

いつかは、そう遠くない未来には。

撫でてやる時にはいつも頭の片隅にそういった思考があった気がする。むしろ努めてそう考えるようにしていた。そうしなければ耐えられないと感じていたからだ。

それにしたって急な訃報じゃないか。

先週会った時には、居間に寝っ転がる僕の横に歩いてきて挨拶だってしてくれた。

 

ぼくは父に家に帰る旨を短く伝えた。

 

車に乗り込み、最寄りのインターチェンジを目指して走り出した。空は秋の夕焼けで寂しげに燃えていた。

早く行ってやりたいのに、亡骸を見るのが怖い。悲しむ両親にどんな顔をして何を言っていいやらわからない。しかし、もうこの帰路で心の整理をつけねばならなかった。

 

ぼくは泣くのが嫌いだった。

ぼくにとって初めての身内の死は、1代目の犬だった。大学生の頃ではあったが、人形のように動かなくなった愛犬を目の前にしたとき涙と鼻水がどばどば溢れて止まらなくなった。それから3日くらい、ふとした時に泣けてしまうという状態になってしまった。

その後、祖父母が亡くなった時も泣くものかと思ったが、結局終始上を向いて鼻を啜ることになった。

今回、ぼくは泣かずにお別れを言おうと思った。今までありがとう、ごめん、また会おう、ゆっくり休んでくださいと言ってやるつもりでいた。

 

家に到着すると、ぼくは努めて平静を装った。

親父に軽口をたたいて居間に入るといつものようにベッドで眠る犬がいた。まるで本当に眠っているようだった。

その横で母が鼻をかんだティッシュを積み上げていた。今朝も散歩をして、夕方までいつも通り過ごしていたのだそうだ。10分程度目を離した後戻ると、既に息を引き取っていたそうだ。誰にとっても急な話だった。

撫でてやるとまだ温かく、トリマーに行ったばかりの毛並みがサラサラと気持ちよかった。ぼくは早々に鼻水と涙を垂らしていた。

意味もわからないうちに産まれ、当たり前に死んでしまう不条理を生きぬいたひとつの命を不憫に思ったり尊敬したりした。

もっと抱きしめてあげればよかった。

寂しがりだったからもっと一緒にいてやればよかった。

そんな後悔をしないようにするために、いつか死んでしまうことを意識しながら接してきたはずなのにまったく意味がなかった。

 

辛くなってタバコを言い訳に立ち上がる。

父も辛いので居間に長い時間居られないと言った。

逆に母は付きっきりで、ずっと鼻をかみながらそばにいる。亡骸に語りかける。男なんてのは、女性の強さや大きさに甘えてばかりいる。愛に関して、男は永遠に素人だ。

 

最後に抱いてやってはどうかと母が言う。ぼくはやんわり断ったつもりだったが、あれよあれよと言う間に抱かされてしまった。

いつものように腕の中に収まった犬を見て、せっかく引いた涙と鼻水がまた流れ出して困った。こんなの傲慢な人間の独りよがり、自己満足だと思いながら犬にありがとうとさようならを言った。

 

明日には犬は敷地に埋めることになった。

火葬にしようかどうしようかと母が悩んでいたが、1代目の犬が土葬だったのでぼくは同じようにして隣に埋めてやってはどうかと言ったのだ。片方だけ火葬だと、1代目が不憫かもしれないとも思った。ぼくは明日も仕事なので、穴を掘るのも埋めるのも父だからひどく無責任な提案だった。

 

もう一生、肉眼で2代目を見る機会はない。今生の別れというやつだ。しかし明日はやってくるから立ち止まってもいられない。