死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

ビートルズが教えてくれた

大学生の頃はビートルズが教えてくれたを聴いていた。
左京区岩倉の一人住まいには、寂しさを誘う音楽がよく合った。底冷えする真っ暗な部屋でぼんやりとしながら吉田拓郎を聴いていた。

そしてその時、おれは髪と髭を伸ばしてウジウジと生きて行こうと思った。

何か考え深そうな顔をして、楽しいことも愉快なことも全部つっぱねて生きて死のうかと思った。楽しく生きることにも向き不向きがあって、おれはそれがあまり上手くない人間であるから、せめてそうしていようと思った。
健康的な精神の代わりに、友達と企てる夏の壮大な計画の代わりに、淫らな一晩の情事の代わりに、素晴らしい青春の光の代わりに、髪と髭を伸ばそうと思った。

素晴らしい何かを手に入れられない者には、誇り高き陰鬱が与えられるのだ。高尚なる悶々や哲学的夜の散歩が訪れるのだ。その勲章が髪と髭なのだ。お手軽になにか曲者のような雰囲気が舞い降りる魔法である。時を忘れる充実感の代わりに、ウジウジと吹き溜まりのスナックで腕を組んでウンウンとする権利を手に入れるのだ。
素敵なものはどうせ手に入らないのなら、おれはせめて変な凄そうな奴になろうかと思った。
おれにロックだパンクだは無理だ。変な凄そうな奴になろう。本物にはなれない。せめて本物の偽物になろう。たまにチンポでも出せばいいんだ。そしたら変な女の子にモテるかもしれないし。芸大だしなんか良い感じに受け止められるだろう。そう思った。

結果的に髭はうまく伸びなかった。密度がスカスカで、なんだかみっともないのだ。髪の毛も、量ばかり多くて鈴カステラみたいになってしまい鬱陶しくて嫌になった。これじゃほんとに友達も彼女もできないと小者丸出しの思考になった。
髪と髭を伸ばすのにさえも向き不向きがあるのだった。

結局おれは多分ひとなみの青春みたいなものを通過しつつ大学生活を終えた。
陽気でいることを学んだおれは、より中途半端な人間として存在している気がする。それで別にいいんだと、拓郎は言っている。おれも、まったくその通りだと思った。ビートルズが教えてくれたを聴くたびに、嗚呼、おれはほんとうに、大人になったのだなあと、少し夜の散歩に出かけたくなる。