死ぬか天才か

ハグ林のだだ漏れ思考整理簿(予定)

君住む街に

11月は、京都にある母校の文化祭へ行った。 サークルの出し物であるステージへの出演依頼をもらったからだ。 卒業してもう7年が経ったけれど、 呼んでもらえるのはまったくありがたいことだ。

 車で出町柳まで赴き、市営駐車場に駐車した。 よしや楽器に寄る為だったが思いのほか時間に余裕がなかったので 少し早かったけど叡山電車に乗り込んだ。( 値上がりしていて少し面食らった。)

学生時代の友達の多くは叡山電車の沿線に住んでいた。 ぼくたちは何をするでもなく誰かの家に集まって朝までくだをまいたり、あてどなく街を歩きまわした。 そういえば少し前に友達同士が結婚したという話を聞いた。 三重に帰ってから一度も会っていなかったし、 30手前になればそういうことが沢山あるんだろう。こういう時、ぼくはいつの間にか「三重の人」 という括りに入ってしまったのかもしれないと感じる。そんな奴いたなと思い出されているのかもしれない。今日だって、みんなぼくのことを遠くから来たお客さんと思って話しているのだ と思うと、すこし面白く、さみしくも思った。 ぼくもみんなもただの人だろうと、石ころを蹴飛ばしたくなったが電車は修学院を過ぎたところだった。

まだあの頃のぼくたちが暮らしているような気がした。あいつがあのアパートで寝こけている気がした。それはつまり歳をとったなということなので「おれは此処にいるぜ」と感傷を受け流した。

 大学前の駅で降りて構内へ立ち入った。野田さんが居たので出し物を見て回ったけど、規模が小さくなっていたのですぐに一巡できた。自分が学生の頃よりも随分さっぱりとした学祭の雰囲気に驚いた。あの頃は夜通しの酒と音楽、バイオレンスでケミカルなエネルギーに満ち溢れていて、1人で歩き回れば男でもレイプされる気さえしたけれど、すっかりクリーンになっていた。まぁこっちの方が良いのだろう。本来はこうあるべきなのだ。これ以上年寄りのような事は考えたくないと思いつつ出演予定のステージへ向かった。

 サークルのステージは見違えて立派になっていた。ビールケースの上に畳を敷いたものから、広さ10畳以上、高さ5mはあろうかという小高い屋根付きのステージになっていた。まぁ前回(おととし?)呼んでもらった時もそうだったんだけど、毎度すごいなと感心する。ぼくはサークルに居たは居たが、学祭のような大事な場面ではほとんど何もしなかったので頭が下がる。何か罪悪感のようなものすら今更感じてしまった。勉強してバイトしてサークルして、恋したりできなかったり、大学生は大変だ。

 ぼくの記憶では、この季節の岩倉は骨にくる寒さだった。学校やスタジオに行くためにバイクを走らせる時、耳がスダズタに切り裂かれるような寒さに震えた。今日も日中は暖かかったが日が沈むとやはり懐かしい寒さを感じた。なにか胸の奥の方がキュッと鳴くような、切ない寒さだった。ぼくは京都が好きだけどたまに気が触れそうな気分になる。とても切なくて叫びたくなる。たぶん、京都はぼくのことなんか何とも思っていないから切ないのだ。これは片思いの切なさだ。

 友達の土屋くんがさくちゃんと幹太と一緒にライブを見にきてくれた。土屋くんは白髪まじりの頭に着れればなんでもいいというような服を着て、まさしく父ちゃんらしかった。さくちゃんは綺麗で、しっかり者になっていた気がする。幹太はふたりのどちらにも似ていて可愛かった。ぼくのことをアグやらガグやら頑張って呼んでくれた。

 出番を迎えてステージに上がった。ステージに上がると、ステージ前の人が目に入らなくなる。あまりに余裕がないからなのか、意識的に見ないようにしているのか自分でも分からないけれど、なんとなくでしか人が見えない。誰が見ていても誰も見ていなくても同じ様にやろうと思う。

 増税前に沢山買ったダダリオの弦を張ったけれど、あまりしっくりきていない。あまりにブロンズらしい音に慣れないのと、カポを差すと音が貧弱になるような気がした。アリアのギターもSMDのピックアップも、買い替えを考えながらもう10年くらい同じものを使っている。学生の時、今日行くはずだったよしや楽器で買ったものだ。よく頑張っているもんだ。

 ライブを終えてステージを降りる。ライブ後は何か逃げるような気持ちになってそそくさと袖にはける。ライブ後に話しかけてもらってやっと誰が見てくれていたのか認識できる。話しかけてくれたのにぼくは上手く返事ができなかったりするので申し訳なく思う。でも嬉しいのでみんなどんどん話しかけるべきだ。

 土屋ファミリーと構内を回るが、寒くてすぐに食堂に逃げ込む事になった。幹太がよく分からないことを言いながらぐずっていたが、顔が面白いので笑ってしまった。子供が一生懸命になって泣いたり怒ったりするとよく笑ってしまうが、これは児童心理学的にはあまり良くないのか?とたまに思う。別にバカにしている訳ではなくて、バカだなあと思って笑ってしまうのだ。

あの娘がプカプカを歌っていた。ギターが下手くそになっていた気がするがいい歌だった。「あんたとわたしの死ぬ時分かるまで わたし占い辞めないわ」という部分が、このプカプカという歌で特に好きだ。ふたりは死ぬまで一緒にいるという事なのだろうか。いよいよ京都に夜がきた。ぼくはこの街の異物だった。

帰りに土屋くんたちとハンバーグを食べた。幹太は変な芸を見せてくれてぼくはナプキンで鼻水を拭いてやった。京都駅へ3人をおろしてそのまま三重へ車を走らせた。車中で今日のライブの音源を聴いたが、MCがほとんど聞き取れなかったので自分が嫌になった。ぼくはどうすればいいのか考えていたら家に着いた。

誰かに抱かれて眠りたいが誰もいないのでアルコールを流し込んで布団に潜り込んだ。

「結局、感傷に負けた」と眉をしかめる。

自分が何に怒っているのか、何に失望しているのか、全部自分に対してないので仕方の無いことだった。決して泣いたりせず、しかめ面をすることに決めた。それか、笑うのだ。

シザーハンズはオナニーもできねぇよな

 

年が明けたころだっただろうか、曲も増えてきたしアルバムを作ろうと思った。

2015年に「十九才のメモ」というアルバムを作って(まだまだ大量に在庫があるんだけど)、そろそろ新しい音源が欲しいと思っていたから。

「これがぼくです」という音源だと思って作ったけど、今となっては「これが3年前のぼくです」という捉え方になっていた。当たり前なんだけど。

3年の間に世界や周りは目まぐるしく変わって、いつもぼんやりしているぼくでさえ多分少しは変わったということなんだろうか。世の中には進化も退化もなく、ただ変化だけがあると早川義夫の本に書いてあった気がする。良いか悪いか分からないけれど(自分としては良くなってると思っているけど)、いまのぼくをCDにしなくては……と、今年はずっとそのことを考えていた。

 

親しい人たちにぼくは「夏頃にアルバム作る」と言った。みんなへぇとか、ほぉとか、待ってるぜとか言ってくれた。

 

夏になれば「今年中にアルバム作る」と言った。みんなおぅとか、はぁとか、楽しみだぜとか言ってくれた。

 

年末にぼくはみんなになんと言うだろうか⁉︎

 

多くは語るまいが、宅録は年末完成に向けて進んでいる。悩みながらも宅録は続いている。ただ、あたりまえだけど納得できるものにしたいと思ってます。それが難しい場合、年末完成には拘らないと決めました。

全てはぼくの怠惰がいけないわけですが、多分おそらくきっと、待ってくれている人も居ると思っているので、この場で謝罪します。すみません!

 

音楽に限らず、やってみたいことに挑戦するチャンスも頂けそうで、それも全力で当たりたいと真剣に考えておりまして一度自分の中で整理しようとブログを書きました。

 

アルバム完成やら他のなにやらも、色々報告できる日をいましばらくお待ちください!

 

https://youtu.be/fqAAt0_mQAc

ちなみにyoutubeのチャンネルに「パー子ちゃん、悲しみは夜の星だよ。」という曲をアップしましたが、アルバム用に作った曲ではないのでアルバムには入りません!

一応曲つくったりしてるよアピールでした!

 

とっ散らかった雑な報告ですみませんでしたー

 

おわり

たいふう

 

築40年の家が軋み揺れる。

20時ごろ、非常に強い大型の台風24号が和歌山に上陸したそうだ。バイパスに並ぶ夕焼け色の街灯の明かりに照らされて、斜め45度から降り付ける雨がここからは見える。みんなが亀のように家に閉じこもって嵐が過ぎるのを待っている。ぼくはこんな恐がりな人類が可笑しかったり、分かりやすく隔絶されたこの部屋の暗闇が優しかったり、ひょっとしたら終わってしまう命が素晴らしくて、じっと夕焼け色の街灯を見ている。

(おれってば、戦争を知らない子供たちだな)

世の中に起こる騒ぎを祭りの一種として感じている今の自分は、なんて思慮の浅く想像力の欠如した人間なのだろうと思い、ヤダヤダと頭を振る。自分のような奴は一度痛い目を見るべきなのだと、自分と『正しさ』のズレを客観的に認識しておく。「わかってるよ」と言いながら開き直るのもまったく慣れた作業で、なにか罪深さのようなこの気分でさえヒロイックに楽しんでしまえる愚かな大人になってしまった。いや、やはり胸の片隅にある「全部流れちまえばいい」というあほ丸出しの思考は、この頭打ちの人生に対する諦めと灰皿のような社会に対する絶望によって確かに存在している。

(この街を洗い流す雨はいつ降る?)

ラヴィスのような怒りもなく、ただ漠然とそう思う。間違っているのは自分だと認識しているため、ぼくはトラヴィスにはなれない。なれなかった。学生時代に友達に借りたバリカンで頭をモヒカンにして軍落ちのM65を着て大学に行ったことがあった。44マグナムでポン引きを殺しに行くわけでも、好きな女の子を弄んだエリート営業マンと喧嘩をしに行くわけでもなく、ただモヒカンにしただけだった。あれはもしかしたらトラヴィスから最も遠ざかる行いだったのかもしれない。ぼくは狂気から最も遠い男になのだ。酒に酔ってなんとか鈍らせても魂の成り立ちが凡人のそれなのでお利口だ。背骨の無い男になってしまった。ぼくはトラヴィスにはなれなかった。

軋み揺れる部屋の中で、この街を洗い流さんとする光景を見ている。もしもこの部屋に彼女が居たなら一緒に窓の外を眺めてくれるだろうか。そして何かうっとりとした時間が流れるだろうか。ノルウェーの森の主人公が女と一緒に火事を見たように。あの小説はいけすかない男がくだらない女とセックスする低俗な話で、ぼくのような気持ち悪い男にとってまったく気に食わない物語だったけど、あのシーンは少し美しかった気がする。

でもやっぱりこんな気持ちは共有するものではないのではないか。ましてや彼女と共有できちゃ意味合いが変わってしまう気がする。人はひとりじゃ生きられないという現実と、誰と何人連れ添おうが人はひとりだという真実のように、一緒くたにしてはいけない領域のような気がする。この景色はひとりだけのものだ。ひとり部屋に立つぼくがふたりだけの景色を見ることが出来ないように、せめてこの景色はひとりだけのものだ。悲しいくらいに。

なんだかファイトクラブのラストシーンが観たくなった。街が崩れ落ちる、崩壊のシーン。where is my mind?が流れる最高潮のシーン。きっと世界の終わりにはそこら中でPIXIESが流れるのだと思わせる、美しいシーン。シン・ゴジラが東京の街や国会議事堂を熱線で焼き尽くすシーンだって美しかったな。脳が逆毛だって口がぽかんと空いて目玉が濡れた。

この街が終わる時は、破壊に飲み込まれてなす術なく、すり潰される時は、PIXIESじゃなくてぼくの曲が流れてはくれないか。今は無いけれど、その時までにはきっとそんな曲を用意するから。ぼくは、いつかそんな曲が作りたいとよく思うから、この街の人たちは堪忍して欲しい。防災無線で、遅延なしで流して欲しい。本当はもっと良い音で聞いて欲しいけれど、緊急時なので仕方あるまい。ほんと、嫌だとみんなが言うのなら、ぼくひとりだけ勝手にそうしよう。

 

台風は信号機をすこし歪めたりして過ぎ去った。何人怪我したのか知らないが、とてもこの街を洗い流すには力及ばなかった。仕事は休みにならず、逆に余計な仕事をするはめになった。

うろこ雲がずらっと並ぶ秋らしい空に、ツクツクボウシの生き残りが鳴いて飛び上がった。

(つがい見つかるんかな)

せっかく生まれてきたんだから、見つかればいいのになと思った。

 

もう夏もいよいよ終わりだ。

ビートルズが教えてくれた

大学生の頃はビートルズが教えてくれたを聴いていた。
左京区岩倉の一人住まいには、寂しさを誘う音楽がよく合った。底冷えする真っ暗な部屋でぼんやりとしながら吉田拓郎を聴いていた。

そしてその時、おれは髪と髭を伸ばしてウジウジと生きて行こうと思った。

何か考え深そうな顔をして、楽しいことも愉快なことも全部つっぱねて生きて死のうかと思った。楽しく生きることにも向き不向きがあって、おれはそれがあまり上手くない人間であるから、せめてそうしていようと思った。
健康的な精神の代わりに、友達と企てる夏の壮大な計画の代わりに、淫らな一晩の情事の代わりに、素晴らしい青春の光の代わりに、髪と髭を伸ばそうと思った。

素晴らしい何かを手に入れられない者には、誇り高き陰鬱が与えられるのだ。高尚なる悶々や哲学的夜の散歩が訪れるのだ。その勲章が髪と髭なのだ。お手軽になにか曲者のような雰囲気が舞い降りる魔法である。時を忘れる充実感の代わりに、ウジウジと吹き溜まりのスナックで腕を組んでウンウンとする権利を手に入れるのだ。
素敵なものはどうせ手に入らないのなら、おれはせめて変な凄そうな奴になろうかと思った。
おれにロックだパンクだは無理だ。変な凄そうな奴になろう。本物にはなれない。せめて本物の偽物になろう。たまにチンポでも出せばいいんだ。そしたら変な女の子にモテるかもしれないし。芸大だしなんか良い感じに受け止められるだろう。そう思った。

結果的に髭はうまく伸びなかった。密度がスカスカで、なんだかみっともないのだ。髪の毛も、量ばかり多くて鈴カステラみたいになってしまい鬱陶しくて嫌になった。これじゃほんとに友達も彼女もできないと小者丸出しの思考になった。
髪と髭を伸ばすのにさえも向き不向きがあるのだった。

結局おれは多分ひとなみの青春みたいなものを通過しつつ大学生活を終えた。
陽気でいることを学んだおれは、より中途半端な人間として存在している気がする。それで別にいいんだと、拓郎は言っている。おれも、まったくその通りだと思った。ビートルズが教えてくれたを聴くたびに、嗚呼、おれはほんとうに、大人になったのだなあと、少し夜の散歩に出かけたくなる。


うつし世はゆめ


うつし世はゆめ
夜の夢こそまこと

鳥羽の江戸川乱歩記念館でこの言葉を見たときは、なんだか「アァー」ってため息が胸のうちからどろんと溢れて、乱歩もやっぱりそうなんだ、いやー僕もそうなんです、なんて独り言いいながら嬉しくなって、でもその反面世の中からの疎外感みたいなものもバチンと思い知らされて悲しくもなったのをよく覚えている。

ぼくは夢が好きで、特別に興味を持っている。
夢の中のぼくに訪れる感情は現実のものよりずっと純度が高い。本当のぼくの魂は夢の中にあるんじゃないかと疑っている。
うまく言えないけど夢が好きです。
ぼくの精神の未熟さがそうさせるのだと思う。

大学生の頃、世界が終わる夢を見た。
ぼくは友達と旅行に行って旅先の古い大きな日本家屋に泊めてもらうことになった。その家には無口な女の子が住んでいて、何を言っても全然答えてくれなかった。
宿泊先で殺人や怪現象が起こり始めた。日本家屋の書斎から見つけた本に、この地域にまつわる猟奇的な伝承や世界を終わらせるバケモノの存在が記されていること発見した。
ぼくたちは力を合わせて困難に立ち向かって、多くの問題を乗り越えた。無口な女の子も、何も言わないけれどぼくたちに協力してくれた。ぼくは嬉しくって、多分その子の事が好きだった。
でも結局世界の終わりを防ぐことはできなくて、もうすぐみんな死んでしまう事が決定してしまった。もののけ姫のだいだらぼっちみたいな青く光る巨人みたいなのがどんどんと膨らみながらその光度を上げていくのをただみんなでぼんやりと見ていた。たぶん、こいつが世界を終わらせるんだと思う。
ぼくは最後に、女の子の名前を聞いた。女の子は「小春」と答えてくれた。ずっとつまらなさそうにしていた彼女がニコニコと笑って僕を見上げたから、ぼくは本当に嬉しくなってたしか小春ちゃんの手を握った。もう数秒で弾けるだろう巨人を見ながら、心は幸せに包まれていた。何もかも美しくて誇らしくて、死ぬことなんて何も怖くなかった。

目がさめるといつもの散らかったアパートだった。付けっ放しで寝てしまったテレビから、丁度今日の天気予報の解説がされていた。
「今日は小春日和となるでしょう」
そうお天気お姉さんが言った。ぼくは「アァー」とため息をはきながら胸からどろんとしたものが流れ落ちるのを感じた。夢の中でなら慟哭してもおかしくはなかったその感情は、現実の中では虚しさと怒りと情けなさとなんかを混ぜこぜたよく分からない粘稠質のものになってただどろんと溢れて出たのだ。
ぼくの愚かな恋は現実に負けた。
天気予報の一言に踊らされて弄ばれた。
夢だった。たかが夢だった。
死ぬことも怖くなって、幸せは無くなった。

ぼくは今でも彼女に申し訳ないとたまに思う。
顔も声ももう思い出せない。
ただ小春という名前だけがいつまでも残っている。

クレヨンしんちゃんの夕陽のカスカベボーイズとか観ると眉毛がハの字になっちゃう。
弱虫だとか根性無しだとか言われたって、ぼくは夢が好きなんだよな。

夜の夢こそまこと!

金木犀物語

死にたいと口にするほど、高校生の僕の日常は不幸なものではなかった。それどころか、世界を見渡したなら、僕なんかは随分と恵まれた餓鬼ではないか。しかし、それでも死にたいと1人ボヤきたいようなバチあたり気持ちがずっとあって、それは只々何かいいことはないものかと言う意味合いのもので、つまるところ退屈だなあというため息そのものだった。
神様が与えたもうた3年生の教室、窓際最後部の席に腰掛けて上述の意味合いで「死にたい」と頭で唱えた。実際に口にするのは恥知らずのようで、はばかられるのでしないのだ。いやいや、その時代の僕ときたらはばかれることばかり考えていたので頭の中で万事を済ませるのは癖になっていて、別に誰に聞いて欲しいわけでもないし、こうして無口な林という人間が出来上がっていったのかもしれない。
天気の良い秋晴れの風に乗って何か無視のできない不自然な香りが窓から流れ入ってくる。教室のすぐ横に植わっている金木犀の花の香りだ。
「まるで青春の象徴の香りのようでムカつくぜ」と頭で唱えた。この主張の強い芳香剤のような花の香りを、あの娘は好きなんだと言っていたなあと思い出したのだ。なるほど、こんな解りやすい香りを好むのだからあの娘はミーハーで通俗的でサッカー部のキャプテンなんかが好きなわけだ。
枯れろ枯れろ。さっさとその赤黄色を毒葡萄のように黒く腐らせてしまえ。でないと切なくっていけない。嗚呼、死にたい死にたい。
まさかあの娘は僕に暗号を残したのではないか。お前は「きんもっ!くせー!」ということを暗に示したのではないか。有りうる。有りうるぞ。あんなサッカー部のキャプテンにうつつを抜かす愚かな女なのだから、うまいこと僕に悪態を吐くなんて朝飯前なのだ。もしくはそういった卑怯で言い訳じみた悪口が全国の女子高生の間で流行っているということも考えられる。被害妄想ではなくて、こんなご時世では全て有りうることなのだ。
こういった訳で、金木犀の匂いなんてうっとうしくて嫌いだ。僕の恋人になるのは、きっと蓮華草の花の匂いなんかを愛する可憐な人なんだろうと思う。そんな人を愛せば、死にたいなんて言わない。死にたいなんて言わせないのだ。毎日、いちにちの終わりには黄昏時の道を歩きながら、彼女が一番星を見つけて僕に教え、明日はきっと明るい日だと言うことを死ぬまで繰り返すのだ。今と同じ季節が来て、金木犀の花の香りがトリフィド時代のように世界中を飲み込んでも、2人は抱き合って、お互いの肩やら頭やらの匂いを嗅ぎあって決して負けないのだ。
例えば大人になった、だいたい26歳あたりになった僕が、高校生の僕のこの主張を読んで、馬鹿馬鹿しくて愚かで頭がクラクラして天地がひっくり返りそうだと思ったとしても、お前の方が馬鹿で愚かで金玉顔だと言ってやりたい。僕はきっと蓮華草の彼女を見つけるぞ。世界中を旅して、砂漠の街やら雲の王国やら海底都市だって渡り歩いて、必ずそうするのだ。今お前の隣に優しく笑う彼女がいなければ、この手記を二人笑って読むことが出来なければ、僕はお前と別の世界線へ行ったということなのだ。お前は人を馬鹿にし、身の程を知って、愛を怠ったのだ。そんなお前は今日も一人寂しく死にたいと言うのだ。それどころか、死にたいと口にする退屈もなくしているのかも知れない。夢のない金を稼いで半端な歌を歌うのだろう。

バカと海


シーラカンスを釣りたいと、うみは言った。病室の窓から見える太平洋に、大きな魚が羽虫を喰らいに跳ねたのを見てから頻りに言う。魚には鱗がなく、鳶色に銀色を塗した斑目の身体と、なにより眼が乳白色に美しいのだと彼女は僕に何度も説明した。ぼくはそいつの正体がシーラカンスという、非常に珍しい魚なのだと言ってやった。無学なぼくには、そんな居るか居ないかもよく分からない魚は、シーラカンスくらいしか心当たりがないのだ。
ああー、しーらかんすと呟きながら、うみはそのまま2時間かけて、シーラカンスが世界を終わらせる短編小説を書きあげてぼくに見せてくれた。表情筋が溶けた諦めたような笑顔をぼくにくれ、ぼくはこの娘が白痴なのだと再確認した。今ここに充満する腹が冷えるほどのどうしようもなさに、ぼくはこの先の人生全てを持っていかれた気がした。
白砂の海岸線の終わりの丘に、このサナトリウムは建っている。彼女は友人の妹であり、ぼんやりとしているうちにぼくの個人的な友人になった女である。大正時代に建てられたこの洋館風の病棟に、もう六年も住み着いて、今年で二十五になる。それなのに、その肉付きの悪い貧相な身体と、白痴特有の深淵を浮かべた瞳が、うみを大人にさせなかった。青白い横顔を見る度に、ぼくは不憫に思う。浮世を離れたこの古びた病室の中では、確かに時は過ぎて行くということさえ怪しく思え、ぼくは毎度ひどく不安になる。同じ程、時が固定された安寧に思考が閉じる安らぎのようなものも確かにあって、なるほど確かに精神異常者にとってはそれなりに優しい場所なのだと共感もした。
「どうも、失礼しますよ」
声の方を見ると、口ヒゲを生やした中年の男が戸を引いて病室に入ってくるところであった。くせの強い髪の毛先がうちそとへ出鱈目に跳ね、それを無理矢理にポマードかそれとも皮脂でもって後頭部へ流し寝かしつける髪型は野暮った男の顔によく合った。くたびれた白衣を羽織り、両手をそのポッケに突っ込み直し、ベッドで身体半分を起こして手遊びをするうみに、おはようと笑いかけた。
「あなたは、新しい先生でしょうか」
ぼくはそう訪ねながら、そう言えば確かにそうであったと思い返していた。2週前に病院へ訪れた時に、廊下で見た顔であった。その折は、まだ白衣は真新しい白でいて、糊の跡さえあったのだ。
「芹沢と言います。山川さんのお兄さんでしょうか」
「うみの兄の友人の森田です」
ほほうそれは、うむむなるほどと言いながらバインダーにとめた紙にペンを走らせた後、芹沢は、宜しくどうぞと目を細くして笑い、握手を求めた。医者らしからね太短い指に毛がびっしりと生えている。しかし、その手でもって握られると不思議と按摩されたような気味の良さがあった。ぼくは医者の手とは確かにそうだと思った。
「先生から診て、彼女はどのような塩梅でしょうか。白痴とは完治するものですか」
「森田さん、山川さんは白痴とは違います。山川さんは精神を拗らせている病人なのです。白痴と精神疾患とでは、猫と毛虫ほど違います。」
つまりはまったく別種類の災難ですな、と続けながら、芹沢は病室の窓を開け放った。海風が一陣入り、パーテションカーテンが音もなく靡いた。うみは、誰かに呼ばれたように窓枠いっぱいに広がる太平洋をすっと見つめていた。あんまり一生懸命で、風の中の匂いと音を集めている野良の兎のようだとぼくは思った。確かに、耳さえ器用に動かしたのだ。
「ここには全くの良い風が吹きますね。私達の地元の海では油臭くてこうはいきません」
「上等の風は患者に一番必要なものです。わたしの知る限り素晴らしいと言われるサナトリウムは全てこんな風の吹くところに立っているのです」
ですからね、ブラックジャックの家だって、こんな海を見下ろす断崖の丘にあるのですよと、芹沢は懐かしむような遠い目をしてぼやいた
それから彼は、別の患者の窓も開けるのだと言って病室を去った。医者の仕事というのは、無学な田舎者の僕には想像もつかないが、窓を開け放つ事だって立派にするものだと感心した。
芹沢医師が去った病室は、一瞬に静寂が生まれ、ぼくは思わずうみを見た。うみはもう窓の外を見ることを辞めていて、同じ兎の顔でぼくのほうを見ていた。目が合い、深淵の眼に吸い込まれそうな気がした。うみは、外に行と言い、ぼくは頷いた。
サナトリウムは砂浜から大地に変わる、海を見下ろす小高い断崖の丘に建てられている。大海原の表面をかける風が岸壁に散らされ、それが上手いことなって優しいくらいの風としてこの一帯に吹いているのだった。磯の香りがするが、魚の油というような不快なものではない。生きて死んでいく生命の濃縮還元のかおりが、大気とでも言うべき大量のそれに溶けて混ざり、どこか青臭いくせ妙に爽やかで懐かしい匂いでいた。
海岸線には足跡が二種並んだ。並んだと言っても、片方は進行も歩幅も落ち着きがなく、まるっきり毒を喰らった鳥のような軌跡を描いて、蟹だって踏み殺した。うみは、自身が少女だった時分に買った装飾のない白のワンピースに、彼女の兄が最後に買い与えた黒い8ホールのドクターマーチンという出で立ちでいた。それは何かがおかしい組み合わせのように頭では思ったけれど、海岸線を歩く精神異常者には哀しいくらいに似合っているのだった。うみはぼくの方に振り返って、白い顔を見せて言った。
「わたし、うたを歌うから。聴いていてね」
ぼくは歩きながらうたを歌ううみの背中を見ている。久し振りに聴いたその歌は、童謡の様であり、遠い異国の賛美歌の様でもあった。とっちらかった旋律にのせられた詩の中身は、やはり世界を終わらせるもののようだ。彼女の歌によって海溝深く眠る怪獣の眠りは覚め、天使と悪魔も戦争をして、人間も狂って笑い泣きしながら明日の明け方には皆がおっ死ぬということらしい。
歌は波のまにまに揺れて終わり、うみは歩みを止めて大海を臨んだ。水平線の向こう側に陽が落ちる。見慣れた現象が、彼女が居るだけで胸が潰れるほどに痛々しく見えた。ぼくはこの女はここで殺してやるのが誰にとっても一番幸せなのかもしれないとさえ思った。
押しては返す波の音が、絶望絶望と叫んでいる様に聞こえる。水平線に落ちていく夕陽が、神様の入水自殺に見える。しかし、いくら世界が終わりそうであっても、世界は終わらないのだった。うみは寂しそうに眉を傾けたけど、すぐに深淵を浮かべた瞳に戻り、鼻水だけが阿呆の証明のようにかすかに光った。
「ねえ、わたし病気じゃないの
夕陽を見つめながらうみは言った。波の音に負けてしまいそうな虫のほどの声だった。ぼくは負けじと、そうかもねと虫の声で答えた。お互いに聞こえなくたっていい言葉なのだ。曖昧であることが、彼女にもぼくにも優しいのだと思う。
「あの白衣の人ね、患者さんなの。自分を医者だと思い込んでる気狂いよ。毎日窓を開けにくる、そしてね、開けっぱなしよ。あの人ね、あの人ね、終わって
本当にそうなのかもしれない。本当のことはぼくにも分からないし、本当ということが幸せなのかも分からない。いまこの世界でうみだけが正常だとしたら、そうやって世界がひっくり返ってもいい。このまま世界が終わってしまってもいい。

 

 

未完